景観は商店街のものではない
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私は日本の街並みは醜いと思っている。
電線電柱、ノボリ、公共サインでゴチャゴチャだ。

しかし、は美的センスの基準はひとそれ。
ひとまず、私の「美」については置く。

ちょっと違った角度から・・例えば、
商店街の寄付らしき街灯。

私は街灯が好きだ。
石畳の道にそって、街灯がならぶ街並みは、情緒があるではないか。

その街灯に。 
「中野商店会」のマークがあれば、興ざめだ。

でも、それも許す。

さらには、その街灯に、
セルロイドの花飾りをつけて周る行為も自由だろう。
自分の持ち物に何を飾ろうが勝手だし、とやく言われる筋合いはない。



が・・
風景は商店街のものではない。
この風景を弄る権利はないと思える。
もしあるならば、それはいかなる権利で補償されているのだろうか?

外国人が日本を語る「誤訳御免」で、日本の街は清潔だと誉めている。
なんか、気恥ずかしい(笑)
清潔と美しさは違う。



時々、おこる景観論争。
それは、奈良とか京都、など、
歴史ある街並みや、自分の思い入れがある場所だけが話題になるように思える。
そのくせ日常における景観に鈍感なのはなぜだろう・・?

Posted by : kitaoka | 最近思うこと | 09:33 | comments(2) | -
日常の景観こそ大切
京都の景観を保つために、ガイドラインが出来たようだ。
高さ制限、電装広告の制限等いろいろだ。

私はいつも、景観論争がおこるたびに冷めた気分になちゃう。
守べき景観だから守るのはなく、日常の生活の中に醜いものは一杯ある。
世界中の街並みを知らないが、日本の街並みほど汚く醜い街はそうはないと思える。

電信柱と電線で街はグチャグチャだ。
これはまだ救える。
程度の差こそあれ、誰もが
電信柱や電線がなくなれば、すっきりした街並みになるだろうと思っている。
「電線と電信柱は日本の文化です。!この美しさを守ろう」などという輩はいない。
政府も電線の地中化に少しずつではあるが、無くそうとする方向はある。

厄介なのは、商店街の悪趣味。
それが、ノボリであり、旗であり、飾類だ。 
これらが生活地域に氾濫し、景観を滅茶苦茶にしている。
なので、下の画像にみられるような景観の中に私たちは過ごす羽目になる。



それにしても、
どうして商人たちは、店にノボリを置きたがるのだろう?

薬屋もノボリを置く。

弁当屋も憑かれたようにノボリを置く。

ラーメン屋も負けずにノボリを置く。


眼がね屋だって当然ノボリを置く。

黄色や赤や緑が喧嘩しあって、それぞれが

「ラーメン」を「薬」を「弁当」を主張しあっている景観だ。

自分の店前に何を置こうが自由だと思っている。
全ての店が争そうように、ノボリを立てれば、その通りや、その街の景観はどうなる。
景観を自由にする権利までは、店主たちにあるのだろうか?

さらに、この商人が、
商店街として、組織的に街をどうにかしようとすると凄いことになる。
それが下の画像。これは、子供の悪戯ではない。
大の大人が、それなりにコストをかけて、デコレートしたのである。 



特別に汚い商店街を撮ってのではなく、悲しいかな、これが私たちの日常的生活の場だ。
洒落た街路灯がある。商店主達が設置したのだろうか。
ここまでは良い。街路塔に○×商店街と記入するのもまぁ許そう。
その街路灯全てに、安っぽい飾をわざわざ針金で縛るセンスは常人では思いつかない。

悪趣味

シックで落ち着いた街並みで過す。
商店主の爆走を止めなければ、日本では無理かもしれない。
彼ら、商店主は、商店街のあるべき姿が決まっているようだ。
賑やかに、賑やかに、ただ賑やかに。
その演出品が、ノボリであり、セルロイドの花飾というわけだ。

この演出は村祭りや縁日と同じだ。
だがイベントには期限があり、終われば普段の街並みに戻る。
つまり模擬店なのだ。
なので、本格的な造作を必要なく、安っぽい布で飾るだけで良い。

ところが、私たちの街は、戻ることなく日常をこの景観で過すことになる。

くりかえして、強調するが
「京都」のように「奈良」のように、守べき場所だから景観が重要なのではなく、
日常生活の中でも、醜いものは醜いと感じるセンスがなければ、景観論争など語る資格がない。
それを応援するようなルールを行政はちゃんと作り取り締まって欲しい。



ノボリは店の前にとどまらず、道路のフェンスに括り付けている。
上の画像がそれだが、行政は動かない。
これも悲しいかな普通の光景だ。所有敷地をはみ出したうえに、公共物を利用している。

おりしも、東京都知事戦で、「東京をこうしたい」と候補者が言っている。
石原都知事の言う「緑化計画」よりも、
街に氾濫するノボリや電線電柱を撤去して欲しい。
黒川紀章は優秀な建築家らしい。
にも係わらず、東京の醜悪な光景を告発する様子もない。



日本の街は本当に醜い。
市民から電線や電柱、悪趣味にみちた商店への告発がないのは、
醜悪なものに麻痺しているだけなのだ。
犬を室内で飼っている人は、部屋のムットとする臭いをもう感じないのと同じ。

海外旅行から帰国すると、日本の街並みに憂鬱な気分になる。
そんな経験はないか・・?
人として当たり前の感性が戻り、日本の街並みに嫌悪するのだ。
ヨーロッパに見られるような
落ち着いた街並みを、日本で簡単に見つけられないのが悲しい。


http://www.hoken-hatena.com/
Posted by : kitaoka | - | 16:04 | comments(0) | trackbacks(0)
電線
横浜市は、基準より低い電線がトラックの重機がひっかり、街頭が倒れ女児が死亡した事をうけて、基準値より低い電線1万7447本を是正させるとの事だ。
この機会に、なぜ電線を取除く(地中化)という発想がないのだろうか?
何回か、ブログで述べたけど、私は日本の街並みほど醜悪な景観はないと思っていた。

その原因は電柱と空を覆う無骨な電線だ。
ところが人々はそれを醜悪とはあまり気にとめる様子もない。
所詮は、電線が原因でひとひり死なない限り、行政も世論も動かないと諦めていた。
ところが、ひとひとりの命が犠牲になっても、電線をなんとかしようとする告発がない。
呆れるばかりだ・・。

真剣に考えて欲しい。
まだ一人の犠牲者もがでていなのに、賞味期限が切れたケーキを販売していただけで、世間は大騒ぎして、存亡の危機にたつ企業がある。
その一方で、あきらかに、高さ基準を無視した結果、ひとりの命が奪われたのにもかかわらず、世間もマスコミも関係者を糾弾する声がまったく上がらないのは奇妙そのもの。

街の美観にも安全性からも問題がある、電線電柱・・・。
「美しい日本」という言葉が流行る昨今、まっさきに日本の街から、あの醜い電線電柱を撤去してすっきりとした街並みにしてほしい。

特に汚い街並みを撮ったわけではない。
ごく普通の風景だ。この街角に毎日暮らすことに私たちは平気なのだろうか?
hoken-hatena.com/


Posted by : kitaoka | - | 23:27 | comments(0) | -
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